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時衆ゆかりの工芸品(美濃伝百錬細工小刀)

http://www.toyokuni.net/shop/netshop-details.php?ino=2332&sno=4

美濃伝百錬細工小刀(技師)・片刃(先丸)[洋式ナイフ:兼常作]

販売価格
4,536円 (税込,送料別)
全長/刃長/身厚 165/50/2.0
重量/ブレード材質 55/日立安来鋼青紙2号
ハンドル材質 共柄

鎌倉時代、一遍上人により神奈川県から現在の関市小瀬二ツ岩に清浄光寺を移された。その時、一遍上人が常時持ち歩いて仏像を彫ったり、又日常生活に、小さな刃物を持っていたと言われる。その愛用された小刀をモチーフに片刃で切れ味のよい細工刀をあみだした。
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時衆ゆかりの伝統食品(芝崎納豆)

http://amanoya.info/?pid=71924932

芝崎納豆 (160g) 賞味期限冷蔵 1週間 378円(税28円)

神田明神が現在のところに移された慶長のはじめ、その社の傍に「芝崎道場」と名付けられた、草庵がありました。当道場の寒暑忍耐の修行に供した五行珍味の中に《金含豆(こんがんず)》と称し、富貴延寿を祝福するといわれる穀種があり〝神に納める豆〟なる意味からも、納豆に類するものものと目され、これが「芝崎納豆」の前身です。 神田明神名物「芝崎納豆」は、江戸時代からひろく多くの人々に、よろこばれてご愛好いただきました。

〔参考〕http://gajetdaisuke.com/archives/12215_053739.php

東本願寺からのお知らせ

http://www.higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=391

原子力発電所の再稼働に対する真宗大谷派の見解

原子力発電所の再稼動に対して、真宗大谷派では4月23日、解放運動推進本部長名による宗派の見解を発表しました。

-すべての原子力発電所の運転停止と廃炉を求めます-

 真宗大谷派は、昨年末、政府に対して「原子力発電に依存しない社会の実現を目指す」要望書を提出いたしております。あらためて、生きとし生けるもののいのちを脅かすことなく、さらに未来を生きる子どもたちのためにも、一刻も早く原子力発電に依存しない社会の実現を目指すことを求めます。

 これまで、大地震にいつ襲われるとも知れない狭い日本の国土に54基もの原子力発電所を作り、電力供給を原子力に依存する生活を私たちは営んで来ました。
 原子力発電所は、小さな事故であっても、放射線による被曝によって、取り返しのつかない事態となり、すべてのいのちを奪ってしまう危険性があることを、東京電力福島第一原子力発電所事故で学びました。
 原子力発電所の稼働は、原発作業員の被ばく労働に支えられる社会を生み出し、ひとたび放射能に侵されればその地域や国土の風評被害を含め、そこに住む人々までも排除してしまうような「差別社会」を助長します。更に言えば現状の科学では、この地球上で原子力発電所で生じる放射能とは共生することはできず、むしろいのちの根源を奪うものと認識しています。
 さらに、このたびの事故により原子力を利用する限り、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになりました。
 私たちは、すべてのいのちを摂めとって捨てない仏の本願を仰いで生きんとする念仏者として、仏智によって照らし出される無明の闇と、事故の厳しい現実から目をそらしてはならないと思っています。
 すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現に向けた取り組みがなされる歩みを進めてまいりたいと意を決しております。


2012年4月23日
真宗大谷派解放運動推進本部長 林 治

 大胆な宗門改革を進める真宗大谷派が、また一つ仏教界に歴史を刻みました。宗教者は、社会問題と無縁ではいられません。さまざまな批判・妨害・中傷を覚悟したこの英断に、喝采を送りたいと思います。

【iza】レトロゲームは文化財?! 旧世代ソフトを収集・保存へ

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/infotech/552013/

2012/03/24 19:51更新
【ビジネスの裏側】

 任天堂が日本中の子供たちを熱中させた家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」のソフトや旧世代のパソコン用ゲーム、アーケードゲーム…。昔懐かしのゲームソフトが今、次々と姿を消し、存亡の危機にある。「昔、遊んだゲームをもう一度プレイしたいけど、今どこにあるのか分からない…」。国内のゲーム愛好家たちのこんな“寂しさ”を解消しようと、レトロゲームの保存や公開、さらには文化財としての地位確立を目指す運動が活発化している。

 ■童話のように

 「童話は語りつがれていくのに、どうしてゲームは後世に残されていかないのか。ゲームも大切な思い出なのに…」

 劣化したフロッピーディスクやカセットテープなどのゲームソフトを収集・保管するため、昨年9月に設立されたNPO法人「ゲーム保存協会」(東京)の理事を務める男性医師(38)は嘆く。

 近年、ゲーム業界では復刻版ソフトを発売するケースが増えているものの、男性は「ユーザーニーズに応え切れていない」と手厳しい。企業は、失敗した作品を再び発売する傾向が少ないが、ゲームで遊ぶ側からは「企業側からみて収益が上がらなかった“消したい過去”である商品でも、もう一度やりたいユーザーはたくさんいる」と不満の声が上がっているのだ。

 ゲーム保存協会の中心メンバーは約10人で、医師や経営者、オペラ歌手などが所属。理事長は、日本の自動車メーカーに勤務するフランス人のジョゼフ・ルドン氏で、それぞれが、ツイッターやブログなどで知り合った。ゲーム会社とは何の縁もない人たちばかりだが、ソフトの保管に対する情熱は人一倍熱い。

 協会では、ソフトの劣化を防ぐために、空調管理をしながらカビを洗い落とすなど保管方法を研究。機器開発メーカーとも連携しながら、試行錯誤を繰り返している。会員全体で、保管しているソフトはすでに3万本を超えているという。

 「私はゲーム自体に興味はないけれど、文化財としての保管のテーマに共感している」という声も。保存協会の監事を務める辻絢子さん(28)だ。辻さんは「ゲームソフトを記録しているフロッピーディスクなどによる保存は他の文化財保存にも役に立つ」と訴える。

 この言葉通り、協会は別分野の文化財に一役買った実績がある。所属するメンバーが京都の西陣織の関係者に協力し、デザインなどのデータを保管するフロッピーの損傷の修復に成功したのだ。

 協会では、集めたソフトを将来的に無料で公開する博物館を設立したいという思いもあり、「大人たちが子供のころを思いだしながらゲームを楽しめる場を提供したい」(関係者)と、夢は広がっている。

 ■ゲームを無料公開

 昔懐かしのゲームを一般公開する取り組みを実現している団体もある。30~40代の約15人のメンバーで構成する有志団体「アーケードゲーム博物館計画」だ。

 この団体は約5年前から活動を始め、ゲームセンターで利益が出なくなり、廃棄される運命にあるアーケードゲームを買い取り、無料で公開。訪れた人は実際にゲームを楽しむことができる。これまで、1980年代~90年代後半のアーケードゲームを埼玉県内で月に1回公開し、それぞれ60~70人が訪れた。現在は移転のため、同県内での公開を終了し、新たな公開施設を交渉中だ。

 「世界に誇る日本のゲームは、ゲームセンターのアーケードゲーム機が原点だった。次々と廃棄されていくゲーム機を残すのは意義があること」と代表を務める会社員の男性(42)は話す。メーカーに頼らないユーザーたちによるゲーム保存・公開の動きは、今後も広がりをみせそうだ。(板東和正)



近代・現代の資料ほど実は残りにくい、というのは文化財関係者ならみんな知っています。製品を保存する企業博物館も日本ではまだまだ少ないようです。こういう動きは歓迎したいものです。


これからのアートマネジメント 〝ソーシャル・シェア〟への道 (Next Creator Book)これからのアートマネジメント 〝ソーシャル・シェア〟への道 (Next Creator Book)
(2011/04/09)
不明

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【JANJAN】平和のための戦争展。戦時説法の講演。アイヌも話題に?

http://www.janjanblog.com/archives/47551

(前略)
「あいち・平和のための戦争展」では、展示だけでなくいろいろな講演も企画されています。

この日は、真宗大谷派の大東仁さんが、戦争と大谷派の関わり反戦僧侶であった竹中彰元氏についての話をしていました。

当時の世論の状態、青年の時には、戦争に特に批判的ではないように思われた竹中氏の考えの変化、
当時の宗教界の戦時体制への協力姿勢、
戦時協力体制が隅々まで浸透している情勢での「反戦的な言動」がどのように行われたのか、
竹中氏の「反戦的な言動」についての地域の人達の対応と、僧侶仲間の対応の違いなどを、具体的に事例をもとに話をしてくれました。

大東さんは竹中彰元氏についての著作があるそうです。
(戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨(風媒社2008))

竹中氏が行った反戦的な言動は2回。
昭和12年の9月と10月です。
竹中氏は70歳。学校も出ており、非常に位の高い「御老僧」でした。

最初は集落から出征兵士が出て行くのを駅まで見送る集団(500人ほど)の中で、しかも在郷軍人相手に、
「戦争はよくない、しかも損だ」と発言、集落の人達と大激論になり、モウロクしたとまで罵声を浴びせられます。
しかし、罵声を浴びせても、村人達は竹中老僧を官憲に売ることはなかったそうです。

二回目は坊主の集まり(全8名)で「戦争は罪悪だ、この戦争は侵略だ、やめたほうがよい」と発言、またもボロクソにいわれます。
そしてこの7人の僧侶達は、竹中老僧を官憲に密告、捕まることになります。

500人の村人はボロクソに言いつつも密告しなかったのに、7人の僧侶はボロクソに言ってしかも密告する、という状況が、
この当時は、僧侶が進んでそういうことを仕事にしていたことが、示唆されます。

そして獄中で裁判を待つ竹中氏に対して、ボロクソに言った地域住民から嘆願書が届きます。

詳しくは映像をご覧ください。

EsaTube
第20回・あいち・平和のための戦争展「戦争と宗教」大東仁さん
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/13/IsYA4CbQ8hI
第20回・あいち・平和のための戦争展「戦争と宗教」質疑応答(途中で切れています)
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/12/2XyknJHpXx4

なお、竹中彰元氏は
反戦的な言動で、有罪判決を受けたり、
僧侶の資格を落とされたり、布教師の資格を剥奪されたりしたのですが、
その内容は、
昭和13年に受けた刑は一審は禁固4月執行猶予3年、二審は禁固2年20日執行猶予3年、
大谷派に受けた布教資格の剥奪なども3年間。
実際には執行猶予は満期を待たずに皇記2600年(昭和15年)の恩赦によって解除され、大谷派からの資格剥奪もそれに倣って解除された。
とのことでした。

竹中彰元氏の「名誉回復」のために、2007年にセレモニーが行われたとのことですが、
竹中氏の名誉回復は1940年には、既にほとんど回復されており、
見方によっては、竹中氏を「戦時中には言葉を奪って利用して、戦後には名誉回復をしたとすることによって利用した」いるのでは、という可能性もある、
と大東氏は語っていました。(映像外で)

また、2007年の竹中氏の「名誉回復」の歳に、もっとも注目しなければならないのは、竹中氏を「官憲に売った」真宗大谷派の僧侶7名の行為は、はたしてどうだったのか、ということではないかと思います。
たしかに、その当時は「そういうもの」だったのかもしれませんが、密告していない地域住民の行動との対比をみると、なんとも情けがない気がしてきます。

そのあたりについては、教団の取り組みはどうですか、とお聞きしたところ、
「残念ながらやっていません。竹中氏の名誉回復は1940年に済んでいる部分もあるんじゃないの、と聞いても、よくわからない返答でした。
教団がやらないので、自分が調べて本を出しました。教団がやらないおかげで本が売れています。
省略して話しませんでしたが坊さん達の警察の調書も詳しく本に出ています。」

とのことでした。

少し長い話ですが、ぜひとも映像を見ていただけるとよいと思います。
大東さんの話を聞いていると、たんに「戦争に反対しきる」などの玉砕精神とは正反対にある、竹中老僧の「戦略性」がみえてきます。

いかに劣勢な状況でも、できることを、場合によっては腹黒く展開(*4)するというのは重要であると思います。
(後略)

仏教ゆかりのお菓子など

http://shinseimame.com/whats.html

 京都北野、西方尼寺の開祖 盛久・盛春両尼は、室町時代の聖僧 真盛上人の仏弟子にて真盛豆の製法を伝授され、代々同尼寺に伝えました。

 天正十五年 北野大茶会の時、豊臣秀吉公が真盛豆を召され、「茶味に適す」と賞賛された同行した細川幽斎は「苔のむす豆」とたとえたと伝えられています。

 明治初年、初代金谷正廣は採用尼寺からその製法を伝授され工夫を重ね銘菓として茶客通人に賞賛されています。

 煎った丹波産黒豆に大豆粉を幾重にも重ね、青のりをかけた真盛豆の風雅な味をお楽しみください。
                                              創業安政三年 金谷正廣

http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002591/

http://www.cityfujisawa.ne.jp/~shouten/shop/yugyou28/yugyou28.html

 遊行まんじゅう 1箱 10個入 840円 20個入 1680円
 時宗総本山遊行寺から委託販売しています。

 饅頭の皮は酒種製、餡には小豆の皮剥き製を使用しなめらかな口当たりの名物まんじゅう。

 お土産、お使い物にとても喜ばれています。

http://www4.zero.ad.jp/sudachi-mikan/index.htm

近世の接待料理再現 「遊行膳(ゆぎょうぜん)」

http://masudashi.com/index.php?UID=1213253397

このお膳は、寛政6年(1794年)、時宗の遊行  54代尊祐(そんゆう)上人が萬福寺に来訪された時に、警護などの任務についた藩の役人をもてなした料理の朝・昼・夕食の献立を総合して昼食として再現した二汁三菜の身体にやさしい精進風料理です。
食事は「市原家」(萬福寺Link から徒歩3分)でとっていただきます。
予約販売です。
☆ 予約:「市原家」(1,500円)
〒698-0005 益田市本町5-32 電話0856-22-0231 
(前日までにお願いします)

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たばこと時宗

http://www.jti.co.jp/sstyle/trivia/know/travel/build/04.html

茨城県との県境にある栃木県那須郡那珂川(なかがわ)町の馬頭(ばとう)地区。ここは、日本特有の葉たばこである「達磨葉(だるまは)」の発祥の地であり、その生産が盛んに行われていた場所でした。この馬頭地区の中心地に、“煙草神社”という通称で親しまれる『別雷神社(べつらいじんじゃ)』があります。

もともと『別雷神社』は、正和元(1312)年に創立した「藤慶山香林寺」という寺院でした。それが“たばこ神社”と呼ばれるに至った由縁は、元和2(1616)年に、京都の公卿の出である岩倉利雄=第三世相阿和尚(そうあおしょう)が,、上州(=群馬県)でたばこの種子を手に入れたことから始まります。
和尚は、寺の境内でたばこの種子を創栽し、やがて見事に葉たばこを収穫。これが“寺中たばこ”と称されて好評を得ると、地域の人々にたばこの種子を配り、同地域では、後に「達磨葉」と呼ばれる葉たばこの生産が盛んになったのです。

“たばこ神社”の祖となった香林寺自体は、元禄年中(1688〜1703年)、徳川光圀の命によって現在地に遷座。江戸末期の慶応3(1867)年には、水戸藩で実施された神仏分離令を受けて神社となり、その後、香林寺の守護神が京都の上賀茂神社の御分霊である“別雷皇太神(わけいかづちすめおおかみ)”だったことから、別雷神社へと変遷を遂げます。
日本には、豊作を願い建立された“たばこ神社”がいくつか存在しますが、なかでも『別雷神社』は、「達磨葉」の発祥に縁を持ち、葉たばこ耕作と深くかかわった珍しい神社です。
* * * * *
本会関係者が1998年に論文化して明らかにしたものと同内容です。神社の場所は栃木県ですが、那珂川に沿って飛び地状に水戸藩領でした。この煙草神社の祭神は相阿です。時宗僧が神社の祭神というおもしろい例です。相阿の木像は近くの真言宗寺院に残されています。香林寺の住職は廃仏毀釈で還俗し神職となりました。のち教育者として活躍しています。ちなみに相阿がもたらした煙草の葉は、今も那珂川町で栽培されていて、キセル用の煙草の葉である「小粋」360円に配合されているそうです。少なくなった国産煙草を守るため、吸える方はぜひ一服いかがでしょうか。

「遊行寺の浅」

http://homepage3.nifty.com/yamashu-kan/sub4s51.html#yugyojinoasa
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